北海道の拓殖について道内でも関心が高まり議論がされるようになるのは、明治二十四年以降である。これはこの年から開始された道議会の開設運動と関係をもつ。それと同時になかなか進展しない道庁や政府の拓殖政策に対する不満・批判が高まっていたことにもよる。
二十四年六月七日に北海倶楽部が設立され、「北海道ノ拓殖植民事業ヲ進捗発達セシメル事」(道毎日 二十四年五月三十一日付)が目的のひとつにされている。またこの年五月に設立された北海道経済会でも、八月から拓地・植民上の問題の調査を開始していた(同前 二十四年八月十六・十七日付)。さらに十月には、富くじを拓殖資金とする北海道開拓義会の創設の計画が伝えられ(同前 二十四年十月十五日付)、二十五年八月には政府に拓殖進行を請願する北海道拓殖振興会などの政治団体も生まれていた(同前 二十五年十月七日付)。翌二十六年には北海道開拓調査会、開拓同盟会などもつくられ、道議会の開設、本道における衆議院議員選挙の実施などの問題とからめ、様々な活動が展開されていった。
この結果が内務省の北海道調査会の設立(二十六年十一月)、拓殖務省の設置(二十九年三月三十一日)などとなり奏功を得ている。