道庁時代初期の勧農政策はさほどの斬新さはなく、とりあえずは前代に引き続き消極的な施策にとどまった。しかし開拓に直接関連する殖民地選定・区画及び未開地の払下・貸下など土地処分に関する諸事業のほか、排水、灌漑、治水など農業の基礎事業が重視され、なかでも排水は開拓の急伸する石狩平野で、泥炭地の改良とも関連してかなり重要な位置をしめた。さらに明治二十年代中頃から水稲作の積極的な奨励など、従来と違った方向での農業の振興策が図られた。
道庁と共に、この時期農業に関する施策・指導に深く関わったのは札幌農学校であった。それはまず、新渡戸稲造に典型的に示されるように、道庁技師を兼務し、泥炭地改良、小作法案の作成その他の指導にあたるなど、直接農政を担当する場合である。つぎに農場内に農芸伝習科等を設置して、道内各地の中核的農家の育成を行ったことである。さらに農作物の試作、優良種子の作付、農法の研究など、農業振興の基本となるものが道庁の施策と密着した形で行われたことである。これらは、寒冷地ゆえの「欧米農法」の輸入を基本として始まった北海道の農業振興のために必要なことであったといえる。以下、両者を中心とした農業に関する指導・施策等の主なものを略述したい。