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札幌尋常中学校

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 前述のように二十四年十二月の「中学校令」改正で、尋常中学校は「各府県ニ於テ一校ヲ設置スヘキモノトス」とされたが、但書によって「設置セサルコトヲ得」と定められ、道庁は設置を見送った。その後も中学校設立の動きはあったらしく、『北海道毎日新聞』二十七年五月二十七日付にも「尋常中学校設立の議」の見出しで、中学校設立が「当事者間に主唱せられつつある所」と記されている。そして翌二十八年三月十四日付告示で函館と共に札幌尋常中学校が設置され、同月十六日庁令で札幌尋常中学校校則を定めた。同校は同月閉鎖した北鳴学校校舎を使用することとし、六月から入学試験を行い、一年から四年まで一五〇人を選抜した。同年入学者の二十九年三月現在の出身校別内訳は表13のとおりで北鳴学校からの入学者が最も多い。また同表のその他一〇人のうち六人は道外からの入学である。なお校則では「農業ノ専修科」をおくとされているが、募集せずに終わった。七月一日に師範学校で入学式を挙行、八月に静岡県尋常師範学校校長の矢島錦蔵が校長に発令され、十月には北一〇条西四丁目に新校舎が落成した。そして三十二年二月の「中学校令」改正により、札幌中学校と校名を改めた。

写真-5 札幌尋常中学校生徒募集の広告(北海道毎日新聞 明治28年5月3日付)

表-13 札幌尋常中学校生徒の内訳
出身学校人数
北鳴学校46
創成学校37
附属小学校25
英語学校5
量徳学校4
北海英語学校2
速成学館2
東京尋常中学校2
その他10
133
1.札幌南高等学校『60年史』より作成。
2.入学者150人であるが、この調査は明治29年3月であるから1年間の退学者があり減少している。150人は1年から4年まで。

 この間、三十一年一月には第一回の雪戦会が行われ、その後も長く札幌の名物行事として続いた。また二十年代の後半から札幌高等女学校設置の動きがあったが、この巻の時期には実現をみなかった。