前編で東本願寺を例として略述したように、移住した信徒を追って寺院・説教所を経済的助成を中心として設立していく「布教」は、開拓が進むにつれて本格化し、これを制度として明文化した宗派も少なくはなかった。
最も早く「布教」に着手した真宗大谷派では、明治二十九年(一八九六)十月に、函館にある北海道寺務出張所の支所が札幌別院内に設置され、札幌より奥地の開教事務はほとんどここで処理された。
真宗本願寺派は二十二年頃から体制の整備が進んだが、二十六年四月に真宗教会本部出張所を札幌に置き、開教事務を取扱うこととし、本山より毎月五〇〇円の開教費支出を受けたといわれる(北海道真宗大鑑)。二十五年十月からの同派通常会では、二十六年度通常経費予算の外に北海道開教費として五二五四円が付議された(北海道毎日新聞 十一月六日付)。さらに三十年には「北海道布教取締条例」が定められた。
また曹洞宗では二十九年に「北海道布教規程」をとりあえず定め、三十四年頃から「布教」が本格化した。さらに真宗高田派が二十五年札幌教務所を、同興正派が三十一年北海道教務所をもうけ、それぞれ内陸開拓にともなう「布教」の中心とした。