明治十九年五月に篠路村住民から「浄土宗一寺創建願」が提出されたが、願文の中「私共祖先以来浄土宗信仰ニ候処、目今ニ及ビ同(
札幌)郡篠路村本宗ノ信者三拾戸余ニ至リ、該村ハ未タ寺院一宇モ無之ノミナラズ、札幌ト石狩トノ中間ニシテ、風雨降雪ノ折ハ往来不通ノ場合モ有之故、教場開演之度モ少キヨリ、御仁政之旨趣何物タルヲ弁セサル者往々有之、且ツ死亡葬祭ノ道場無キヲ以テ殆ント慨歎仕候ニ付」(北大図)と設立理由を記している。ここでは同村の浄土宗信者が三〇人余に達したこと、同宗寺院との距離とそれに伴う交通の不便なこと、特に葬祭に甚しい支障を来すことなどが述べられており、村外の最短距離にある寺院すら村民にとってきわめて不十分にしか機能し得ないものであったことを示している。また願人中檀家
総代はすべて篠路村民であり、村落寺院といえども数カ村が組合って出願した第五編(第七章)の時期とはかなりに様相が異なっている。
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