この団体について詳細は今のところ不明である。二十七年六月に第四回仏教演説会を開催しており、二十八年四月には春期仏教大演説会を開催し、二十九年一月には設立三周年の演説会を開催し、三十年頃には慈恵学校の設立を計画したこと等が判明しているのにすぎない。演説会を主体に活動した団体で、あるいは仏教青年会の後身的な性格があったのではないかと思われるが、長続きはしなかったようである。
以上、各宗派・寺院・檀信徒等による連合的活動について述べてきた。確認はできないが、おそらくこの時期の、この規模の都市としてはかなり異例な現象であるとみてよいであろう。この原因については、七章二節で社会改良・啓蒙的団体全体について述べられているが、仏教の範囲で考えれば、まずキリスト教の存在があげられる。すなわち、札幌におけるキリスト教は、開拓技術者等養成を目的とする札幌農学校でおこった。その結果、この時代には新渡戸稲造、伊藤一隆はじめ多くのクリスチャンが札幌で指導的地位にあり、農学校生徒にも多くのクリスチャンがおり、かつ新開地なるが故の共同体的規制の微弱も加わって、キリスト教の諸活動が活発に展開されていた。仏教側としてはこれに対する危機感を軸として共同の活動を推進したが、ここでも新開地なるが故の各寺の伝統の稀薄さがこれを可能にし、禁酒、矯風など、当時としてはむしろキリスト教的な諸活動すらとり入れることも可能になったのではないかと考えられる。