開拓使時代に実施された産婆養成は、中断したまま道庁時代を迎えた。二十四年区内で産婆を開業するものは一二人に過ぎず、人口増加にともなって産婆養成が必要とされたが、二十七年九月の公立札幌病院内の私立産婆教習所の開所を待たねばならなかった。この教習所は、札幌病院正副院長、医員が養成にあたり、教習年限は一年とされ、翌二十八年十月第一期生五人が卒業した。年々志願者は増加し、三十二年卒業の第五期生を合わせると五七人の卒業生を送り出した。
その間三十年四月には、道庁令第一九号により産婆免許規則が改正され、さらに試験を受け免許を受けることになった。しかし、従来の産婆のなかには積年の経験によって技量があっても文筆の心得がまったくない者もいたため、道庁では筆記試験なしで口述試験でも免許を受けられることとした。
私立産婆教習所の産婆養成の結果、近代医学にもとづいた産婆が誕生し、三十二年区内で産婆を開業するものは二一人に達した。