同攻会の結成は、二十三年春のようである。同会は「文章ヲ錬磨シ傍ラ思想ノ交換ヲ計ル」(同攻会雑誌第一号 道開)目的をもって設立され、そのため毎月一回会員の文章を集め、回覧雑誌『同攻会雑誌』を発行することとした。「創設ノ主旨」によれば、すでに設立された青年協会では、十分に目的が達成できないという認識があったようである。
同誌は二十三年五月一日に第一号を発行した。内容は「論説」、「文苑」、「雑録」、「雑報」などで、二十五年一月に第一九号を出している。
写真-11 同攻会雑誌第一号(道開)
一方、二十二年に結成された青年協会は、二十五年二月に『白石青年協会誌』第一号を発行した。おそらく『同攻会雑誌』を引き継いだものであろう、内容もあらたに「本会紀事」が加わったほか、大きな違いはない。
さらに二十七年暮頃から北海学友会編の『北海学友会雑誌』となったようであるが、三十一年四月に「第弐期」と肩書をつけた『白石青年協会雑誌 螢雪の光』として発行された。これらの内容は、従来のものに書・画が加わっており、文化活動という意味ではより幅広い性格をもったといえよう。
このように白石村では、青年を中心として在来の若連中などの活動に止まらない、旺盛な知識欲をふまえた活動が、しかも長期間にわたって続けられたといえる。
白石村の外でも、たとえば苗穂村では講談会が組織され、活動していたが、さらに三十一年六月頃に閲読会を組織し、帝国文学、太陽その他十余種の雑誌新聞を購入し、閲覧させることとした(道毎日 同年六月十九日付)。