北海新聞社の事実上の経営者である山田は、小樽の事業が繁忙だったことなどから、支配人渡辺兵四郎の推挙により、すでに大阪で新聞記者の経験をもつ
北海道庁属の
阿部宇之八に経営を託することとし、同年八月中旬に決定した。同月中に新聞の改題および日刊化が出願され、九月二十日にはこれまでの編輯人の新鞆は辞職して
北海道庁属に任ぜられ、
栃内吉古がこれにかわった。そして十月一日に日刊で四葉八頁、定価一銭五厘の公式掲載新聞『
北海道毎日新聞』(道毎日)が創刊された。当初の販売部数は二二〇〇部程度であったが、販売には道庁理事官達が尽力したといわれる。
写真-12 『北海道毎日新聞』(明治20年10月2日付)