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税務等の機関

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 国税の主要な部分を占めた地租の徴収については、全国の地租改正とほぼ同様に北海道でも地租創定作業がなされ地券発行条例が定められた。しかし除租期間が設けられたので税務署の設置は明治三十年までなされず、その間道庁が徴税事務を担当した。道庁から分離して北海道に一六の税務署を置いたのは三十年四月で、その一つとして札幌税務署ができ、札幌区のほか札幌、石狩、厚田、浜益、千歳の五郡を管轄した。
 これと同時に道内に札幌、函館、根室の三税務管理局が置かれ、北海道を三分して管轄したが、札幌税務管理局は札幌、小樽、岩内、増毛、宗谷、浦河、室蘭、空知の八税務署を所管とした。水産税が国税から北海道の地方税に移管される一方で地租、所得税、営業税等の国税が漸増し、税務署の統合がはかられ、三つあった税務管理局は札幌に一本化し、三十五年札幌税務監督局が設置された。これにより全道の国税徴収は札幌で監理されるようになった。庁舎ははじめ中央区北四条西七丁目にあったが、のちに大通西七丁目に新築移転した。なお、この中に明治三十八年四月塩務局が開設され、全道の塩専売業務を管轄することになるが、四十年函館の専売局に統合され、札幌からこの官庁はなくなった。それが戻ってくるのは昭和十三年のことである。
 全道の鉱山事務を統轄する札幌鉱山監督署が鉱業条例にもとづき設置されたのは明治二十五年六月であったが、翌二十六年十月には廃止となり、北海道の鉱山事務は秋田へ、さらに東京鉱山監督署の所管に移った。これが再び札幌に設置されるのは二十九年四月で、中央区北六条西五丁目に庁舎を設けた。名称は大正二年札幌鉱務所とかわり、十三年さらに札幌鉱山監督局と改まった。
 これらのほか、全道を管轄地とする官庁に御料局札幌支庁がある。これは明治二十三年に設置され、当時全道に二〇〇万町歩あった皇室財産の林野と関係業務を管理した。庁舎は明治三十一年十一月以降、中央区北一条西一一丁目の旧北海道炭砿鉄道社長堀基の私邸があてられた。のち林野面積を減じたが、道内七カ所に出張所を置き、分担区を設けた。その札幌出張所は中央区北二条西一丁目にあって、定山渓、簾舞、真駒内、厚田、浜益、漁、千歳、苫小牧、樽舞、白老の各御料林一一万町歩を管轄し、北三条果樹園、円山養樹園等もその経営に属していた。のちに名称を帝室林野管理局札幌支庁と変えた。