北海道区制が施行され、住民の意思が区政へ反映される形式はできあがった。住民の意志として特に都市景観問題を規定したものに、火防問題から提出された屋上制限問題や道路・下水の整備問題がある。
明治三十七年六月、道庁は庁令第七七号で、防火対策のため屋上制限令を出し、区内で家を新築する際には屋根を不燃質で建築させることにした(北タイ 明37・6・5)。さらに庁令第八四号で先の七七号を一部改正し、すでに建っている建物も可燃質材を使用しているものは、五年以内に改築することを指令した(北タイ 明37・6・21)。札幌市民は六月末頃から札幌商業俱楽部を中心に、屋上制限の延期を請願する(北タイ 明37・6・21、7・26など)。その後この屋上制限は、商業会議所や区会に多くの議員を選出している家主連の意向を強く受けた住民運動のために、延期を繰り返した(明45~大3には関係記事多数)。この反対の理由は、札幌区の家主たちの改築のための経費問題、それに連動しておこる家賃値上げ問題である。札幌では高家賃が続いていたため、それは一般区民の家屋問題でもあった。この家屋改良は、柾葺の屋根からトタンや瓦などになることで、直接的に札幌の街並の景観を規定するものであった。
さらに道路や下水などの設備の不備や質の向上については、区民の生活にとって直接に快・不快の問題であるため、前述のように要望や要求は出されていた。特に道路の整備は、融雪期や降雨後の道路が泥沼化することへの行政側の対応を批判したものだったが、道路が季節的または気候的に景観を規定することになる。