ビューア該当ページ

札幌の都市景観形成の思想

123 ~ 124 / 915ページ
 以上のように、札幌の都市作りや都市景観の形成に影響を与えたと思われる問題を見てきた。しかし行政や民間の区別なく、「都市札幌をどのように作っていくか」という方針や意見は、あまり明確に示されたことはない。明治四十年の札幌大火後という特殊な時期ではあるが、『北海タイムス』紙上の「災後の札幌」という記事に、札幌の都市作りの基本的な意識が表明された。
 「災後の札幌」では、「可成丈美観を保つの方法を取り、可成丈け美観を増すの道を講ずるは都市形成上の必要事項なり」という基本姿勢で、欧米の都市との比較で日本の首都東京中枢部の家屋の矮小さについて指摘し、他都市も同様であるとしている。そして「札幌区は北海道十一州の首府として其名久しく中外に知らる、而かも其都市としての美観に思ひ至れば頗る忸怩たるものなくんばあらず、可成其の美観を添へ、都市として耻しからぬ都市たらしめんことは我輩年来の所願たりし也。過日の大火災は札幌要枢の地を一掃し、区民諸君は今正に秩序の回復に忙はし、是れ豈に札幌区の美観を添へ、北海道の首府として恥しからぬ都市を現出すべき機会にあらずや」として、「復旧的建築を為す者が区の美観てふことを念頭に置き、可成堅牢にして可成外観美なる家屋を建築せんことを希望」している。そして家屋を美とし堅牢にするためには、建築材料の安定供給と、地代の低廉化による地上権の安全を主張している(北タイ 明40・5・17、20)。
 確かに区民は、道路・下水や衛生問題など都市作りに影響を与えるような個別の問題点を指摘する。しかし、屋上制限問題や上水道敷設など、区民に負担の大きくなる問題について、負担を回避しようとしているのは前章や前項で見てきたとおりである。特に都市景観や都市機能にとって、個別の問題指摘よりも、都市全体に関わる後者の問題の方が影響が大きかったようである。
 「災後の札幌」に指摘されているような、美的建物の集合としての都市景観や、建物の美観や堅牢さに関しては、建築学的観点から次の第二項を参照していただきたい。