札幌の明治建築の代表作品であり、わが国の明治前期洋風建築の主要作品でもある北海道庁本庁舎(明19・7着工、21・12完工)は、炭礦鉄道系のレンガ造建築の工事経験をふまえて設計される。設計・施工(直営)担当の北海道庁土木課(後に第三部土木課)の技術官は、旧開拓使の営繕技術系の旧農商務省北海道事業管理局と札幌県の建築・土木技術官を統合した組織である。北海道庁本庁舎工事の前期の主任官は、前出の平井晴三郎である。かれらはレンガ造の大規模な建築の設計・施工にほとんどが経験をもっていなかった。赤レンガ庁舎の工事を通じてレンガ構造の理解と技術力を一挙に高めた。技術の歴史でしばしば見られる現象である。
道庁赤レンガ庁舎に続いて、北海道製麻会社工場が二十三年六月に完工する。さらに札幌製糖会社工場が同年十一月落成する(後のサッポロビール製麦工場・現ビール園)。前者はフランスから求めた施設基本計画に基づき設計され、後者はドイツから招来の醸造技師の施設計画に基づき設計された。だが建築物の実施設計は、両建築のレンガ構造の細部の納まりの手法が道庁赤レンガ庁舎のそれとほぼ同一であることからみて、道策会社の故をもって道庁第三部土木課が担当したとみられる。なお北海道製麻会社工場の建築設計は、工部大学校造家学科辰野金吾の査閲を受けたと記録されている。
いずれにしても、札幌の初期レンガ造建築を代表する三大建築物は、地元産のレンガと地元の建築技術者の設計、施工によって建設される。当時わが国の大規模なレンガ造建築は、いずれも外国人建築家が設計を担当した時代であった。札幌の三大レンガ造建築が邦人技術者の先行的な設計作品であることは、大書され誇ってよいことである。
道庁赤レンガ庁舎は、完工時は〝五層楼〟であった。半地階(半地下)、地上階二層、屋根裏階(文書庫)、塔屋階の五階建である。八角塔は工事途中の設計変更でつけ加えられたもので、ドームと呼ばれることが多いが、床を設けた展望所である。構造上無理があり二十八年撤去された。道庁赤レンガ庁舎のレンガの組積法はフランス積み、北海道製麻工場と札幌製糖工場のそれはイギリス積みである。わが国のレンガ造の歴史にみられる、明治十九年を境とするフランス積みとイギリス積みの交代現象で、イギリス建築技術の主流化に伴うものとされている。いま一つ、道庁赤レンガ庁舎には蒸気暖房が設備された。わが国の三番目の設備であった。