札幌区と石狩村の中間に位置し、石狩川の舟便に恵まれた茨戸には小市街が形成されていた。「茨戸川ニ軒ヲ並ブル数十戸」「石狩街道ニ沿フテ街形ヲナス」といわれ、「現在主要部ニハ荒物商、雑穀商、理髪所、薬店、質屋、旅店、呉服店、肴屋等アリテ付近農家ノ需要ニ応シツヽアリ」とされ(町村誌資料)、茨戸太郵便局(明20・9本村より移転、明37に再び本村へ移転し郵便取扱所となる)、茨戸太巡査駐在所(明25・6設置)なども置かれていた。
札幌区と茨戸太を結ぶ馬鉄は、四十三年六月二十三日に札北馬車鉄道株式会社が設立され、十月に石狩街道に線路敷設工事が完成し、翌春から本格的に営業が開始されている。茨戸太には明治二十二年以来、石狩、江別、浦臼方面と連絡する汽船も運航されていた。明治末期から清遊の景勝地としても注目されるようになる。
村役場のある本村にも小市街が形成され、郵便局、巡査駐在所などが設置されていた。ただし、大正十一年の総戸数三五二戸のうち、商業は三二戸、工業は四戸と少なく、村人口の減少にともない市街の発展はあまりなかったようである。