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都市化する「風俗」

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 琴似村の中でも大字琴似村は、鉄道ではわずか一駅間というほど札幌区と近接していた。そのために琴似村には諸官庁、会社、銀行への勤務者が多くなっており、区内の学校に通学するものもあらわれ、〝札幌圏〟に包含されてきていた。琴似村屯田兵村として開かれたところだけあって、士族層にはもとより官吏志望が強く、高等教育を求める傾向もあったといえる。〝札幌圏〟への包含はやがて村内に都会の空気が入り込み、生業意識にも変化を引き起こす結果となっていったのである。先の『北海道石狩国札幌郡琴似発寒村是調査』には、村内の都市化する「風俗」について以下のように述べられている。
本村は札幌市街に近く日々都会の空気に接するが故に鄙までも何処となく何時ともなしに奢侈に傾くに至れり(中略)農家の子弟は可成的労働を避けんことを務め、鉄道其他会社の雇人となれるもの極めて多し。……村内の農業は益々萎微するものなり。

 ここでは生活の「奢侈」、青年層の〝厭農〟の傾向が指摘されているが、時期が進むにつれて都市化する「風俗」は拡大していった。『町村誌資料』(明44)の「住民生活の状態」でも、「悪風」として「青年子女輩ノモノ奢侈ニ流ルル」ことが指摘され、「農家主柱初メ子弟トモ可及的労働ヲ避ケンコトヲ務メ、俸給及給料ヲ以テ一家ノ経理ヲナスモノヽ増加ヲ見ルニ至ル。随テ村内農業ハ益々萎微スルノ徴アリ」とされ、前掲書と同様なことがいわれている。