本村は札幌市街に近く日々都会の空気に接するが故に鄙までも何処となく何時ともなしに奢侈に傾くに至れり(中略)農家の子弟は可成的労働を避けんことを務め、鉄道其他会社の雇人となれるもの極めて多し。……村内の農業は益々萎微するものなり。
ここでは生活の「奢侈」、青年層の〝厭農〟の傾向が指摘されているが、時期が進むにつれて都市化する「風俗」は拡大していった。『町村誌資料』(明44)の「住民生活の状態」でも、「悪風」として「青年子女輩ノモノ奢侈ニ流ルル」ことが指摘され、「農家主柱初メ子弟トモ可及的労働ヲ避ケンコトヲ務メ、俸給及給料ヲ以テ一家ノ経理ヲナスモノヽ増加ヲ見ルニ至ル。随テ村内農業ハ益々萎微スルノ徴アリ」とされ、前掲書と同様なことがいわれている。