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市場の動向

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 たまねぎ生産の特徴は、なんといってもその販路が海外を含む遠隔地であった点である。札幌近郊という立地にもかかわらず、こうした生産が行われたところに北海道的な特徴があらわれているといってよい。
 札幌産のたまねぎの流通量はわからないので、全道のそれをみてみよう(表25)。札幌は五〇パーセント以上のシェアーを占めるので大勢をつかまえることができる。なんといっても重要なのは輸出である。大正二年の生産量一九三六万斤のうち北海道から直接輸出されたのが四七四万斤であり、二四パーセントをしめる。大正六年は生産量が二八一〇万斤にまで拡大しているが、直輸出は五一二万斤と伸びているものの割合は一八パーセントにやや低下している。大正二年の輸出の大部分はロシア領アジアであり、具体的にはウラジオストク、ニコライエフスク、ハバロフスク、ハルピン、大連などであった。沿海州や中国東北地区は冬期間の野菜が慢性的に不足しており、ほとんど言い値で売れたという。販売額では、明治四十年から大正十二年までは一〇万円台で上下しており、大正二年は一五万円、六年は一一万円であった(札玉創立二十年記念誌)。大正六年になるとロシア領アジアに加え、フィリピンが増加してくる。この直接輸出に関しては、後に述べる一柳商会の独占的取扱であった。
表-25 北海道産たまねぎの移輸出量の動向 (単位;千斤)
  輸出量移出量生産量に対する移輸出量
 露領アジア関東州中国香港フィリピン
明3429626
 3862154013
 424,1204,030912
大 24,7414,7014011,21182.4
  65,1163,478263571,2557,50644.9
 104,2372,522514,2376,11632.8
 142,3153519,86657.6
1.七戸長生「たまねぎ」『日本産業史体系2』(165頁)より作成。
2.輸出量は『函館税関貿易統計』,移出量は『小樽商工会議所統計年報』。

 次に朝鮮・台湾を含む移出であるが、大正二年には一一二一万斤で五八パーセントをしめており、大正六年にはかなり減少して七五一万斤(二八パーセント)となる。これは道内需要の拡大を要因としている。府県産のたまねぎが水田裏作で出荷が五月から九月であるのに対し、北海道産は九月から三月までであり、端境期の出荷であった。それに加えて、札幌官園に導入されたイエロー・グローブ・ダンバース種系統から選抜された「札幌黄」は品質もよく、貯蔵性に優れていたから、府県の市場を席巻したのである。移出量のなかには、府県の輸出商を経て輸出される部分を含んでいるから、輸出割合はさらに高くなる(北海道玉葱の市場構造と生産者の企業的性格)。