明治四十(一九〇七)年五月に札幌は大火に見舞われる。しかしそのことの景気への影響は意外に小さく、金融機関でみると、北海道拓殖銀行は「影響の事実を認めず」、北海銀行札幌支店は「其影響極めて微々たる者」、北海道貯蓄銀行は「火災後却て預金増加したる勢にして目下頗る好況なり」という具合いであった。また火災後は一般の移出はほとんど半カ月間平常の四割方減少したが、まもなく回復し、移入は建築用品や日用品を中心に約五割の増加という盛況ぶりであった(北タイ 明40・6・21)。
札幌商業会議所が明治四十年に設立されると、札幌区に関する物価、賃金、金融などの詳細な資料が作られるようになった。図3、4は、三、六、九、十二月の主要商品価格をまとめたものである。この図に関する限り、一九〇七年恐慌の影響はみられない。ただ、第一次世界大戦前までの状況をみると、図3の農産品は明治四十四、四十五年に小さな上昇を示すのに対し、図4の鉱工産品は砂糖を除いて大正五年までほとんど変化していない。しかし、実際には明治四十年から四十四年にかけて長期にわたる不況感が非常に強かったのである。このときに北海道貯蓄銀行が休業し、「本区に在りては祭典準備夏物初期仕入農家播種期工業家仕込期に属し万事資金の放下を要し資金の要用最も多忙を極むべき時期なりしと前記(編注・貯蓄銀行の)銀行預金中には諸営業者の着手及支払資本の多くを含有するを以て突然支払の停止に因りて蒙りたる預金者の恐慌一方ならず」といわれた(北タイ 明42・1・20)。貯蓄銀行の一件については第三節で詳説することにしたい。一般物価は二割内外の下落をきたし、空屋は「一昨年の皆無なりしに反し百七戸程もありたり而して空屋は場末に多く又新築家屋の塞からざりしに見れは不景気の為め労働者の転々するに起因すべし」といわれている(北タイ 明42・1・22)。
図-3 卸売価格(農産品、札幌区)
図-4 卸売価格(鉱工産品、札幌区)
長引く不況感について明治四十三年七月に札幌のある実業家の観測として次のような説が紹介されている。
昨年中(編注・明治四十二年)の不景気には本道三区の中、札幌区は比較的打撃の程度甚しからざる模様なりしも、最近に至り函館小樽両区の如き海港は弗々景気の回復に伴れ、船舶の出入多きを加ふるに至れる等の事情より、聊か活況を呈し来れるが如き観あり。然るに当区は前に打撃の程度前両区より薄かりしに反し、近来回復し来れる景況も左程の影響を与ふるに至らずと言ふに一致せり。
(北タイ 明43・7・26)
後背地に広大な農業地帯を有し、区内に工業を擁し、かつ公務員人口の多い札幌は、好不況の波が緩和された形になっているのであろう。不況が激甚でない一方で好況の浸透もいま一つ緩慢なようである。