ここで拓殖貯金銀行改称後の営業状況を、表19によりみておこう。各年下半期株主総会時(一月)の状況を、一応年末の数値とみなして比較した。表17と比較しながらみていく。まず資本金は、公称資本金二七万円にむけて払込みが進められ、毎年増加している。資本金の切捨ては行われなかった。貯蓄預金は四一年末の約七〇万円からみるとかなり減っている。一〇円以下の払い戻しに応じたためであろう。また据置預金の部分は、貯蓄預金と別扱いをしているようである。したがって拓殖貯金銀行の貯蓄預金は、再建後改めて預金したものである。拓銀の後援があるため信用を回復したことが窺われる。その他預金には据置分を含んでいるので、休業前よりも増加している。これも再建後順調に増加を示している。据置分がどのように払い戻されたかは不明である。
表-19 拓殖貯金銀行の営業 (単位;円/%) |
勘定項目 | 明治42年 | 43年 | 44年 | 45年 |
払込資本金 | 192,020 | 232,555 | 233,875 | 234,570 |
貯蓄預金 | 88,749 | 289,956 | 449,173 | 526,491 |
その他預金 | 1,367,918 | 1,364,522 | 1,740,838 | 1,987,885 |
預金小計 | 1,456,667 | 1,654,478 | 2,190,011 | 2,514,376 |
貸付金 | 990,654 | 1,173,217 | 1,322,582 | 1,663,217 |
割引手形 | 320,596 | 140,516 | 290,839 | |
荷為替 | 319,652 | 97,811 | 2,678 | 3,597 |
手形小計 | 319,652 | 418,407 | 143,194 | 294,436 |
貸付金合計 | 1,310,306 | 1,591,624 | 1,465,776 | 1,957,653 |
純益金(損益金) | △34,778 | △30,186 | △20,521 | △12,779 |
払込資本金利益率 | △18.1 | △13.0 | △8.8 | △5.4 |
預貸率 | 90.0 | 96.2 | 66.9 | 77.9 |
1.△はマイナス 2. 42年:「第28期決算報告貸借対照表」(北タイ明43.1.30), 43年:『北海道庁統計書』(明43), 44年:「第32期決算報告貸借対照表」(北タイ明45.1.29), 45年:「第34期決算報告貸借対照表」(北タイ大2.1.29)より作成。 |
貸付の面では、休業前に多いときで一〇〇万円以上あった手形貸付の残高が極端に減り、いわゆる担保付貸付金に重心を移していることがわかる。これも不良債権(回収不確実)を含んでいる数値ではあるが、新規貸付も積極的に行っている。これらの結果、預貸率は四十二、四十三年と高いものの、四十四年からほぼ平常の水準に戻っている。また純益は当然見込めるはずがなく赤字続きではあったが、損失金は年々縮小していった。そして大正三年上半期決算から純益金を計上することができるようになった(北海道庁統計書 大3)。
さて、以上の貯銀休業問題は、この時期の北海道経済の特質をよくあらわしている。すなわち、貯銀の欠損は、札幌本店の事業融資の焦げ付きと、江差支店、函館支店の小口商業融資の焦げ付きから構成されていた。いずれも無担保が多く、銀行の放漫経営と非難されていた。貯銀は札幌の試行錯誤の工業化と、道南日本海沿岸地域の衰退の影響を受けたといえるだろう。そしてその解決に至る過程も、貯銀の自主的整理は行き詰まり、拓銀の支援により解決するということにみられるように、北海道金融界における拓銀の地位、役割の重要性を決定的にしたのであった。