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会議所設立の不認可

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 俱楽府員の中でも、拡張はもとより望むところではあるが、会議所の設立については時機を待つよりほかないであろうとの見方が大勢を占める中、会議所設立の準備はにわかに進められた。
 三十三年十月、農商務省へ会議所設立の申請書が提出されたが、同年十二月二十七日付で申請は不認可とされた。三十四年二月には再び出願しているが、これに対する回答も不認可であった。二度にわたる申請がなぜ認められなかったのか。この理由についてであるが、会議所の会員資格調査は、新聞報道された限りでは二十九年六月と三十一年三月に行われていた。前者は一〇〇人以上の規定のところ六〇人にも満たず、後者の結果は公表されなかった。したがって申請した当時の状況は明らかではないが、当時の札幌の経済力からおよそのことは推察できよう。会議所設立の申請書を提出した三十三年から、設立が認可される三十九年までの函館、小樽、札幌三区の地方税額を比較したものが表22である。
表-22 函館・小樽・札幌地方税額比較表
函館小樽札幌
調定額収入額
明33上半期 4,186円629,849円4143,593円1692,820円084
下半期
明34上半期 16,922.5211,079.0978,287.092
下半期
明35上半期11,610.5507,086.583
下半期 26,093.79
明36上半期 27,308.1714,272.11011,138.380
下半期 39,072.93
明37上半期 29,017.2717,502.05010,687.540
下半期 36,693.53
明38上半期 30,079.4012,728.24011,303.290
下半期 43,229.08
明39上半期 35,326.0065,349.56036,656.77433,673.421
下半期 52,642.35
1.札幌は調定額に対する収入額の割合が6割を切る年度があるため,調定額と収入額を掲載した。
2.39年度の札幌の収入額は督促状発布前徴収額と督促状発布後徴収額を合計したものである。
3.〔函館〕『函館市史』統計史料編,〔小樽〕『小樽市史』第2巻,〔札幌〕『札幌区事務報告』明33~39年度(33~38年度は4~9月分,39年度は38.10~39.9月分)により作成。

 まず三十三年ではどうであったか。札幌と函館は共に半期分の税額になっているが、小樽は年額である。したがって仮に函館、札幌の税額を倍にして年額と考えると、札幌は収入額でみた場合、小樽の三分の一にも満たず、函館の約三分の二程度といえる。三十四年では札幌は函館の約半額であり、三十五年は約四分の一という低さである。三十六年から三十八年にかけては、札幌を倍にして年額と考えると、いずれも函館の三分の一前後であることがわかる。会議所の設立が認可された三十九年の札幌の税額は、前年度までの税額を大きく上回ってはいるものの、やはり函館、小樽の約二分の一あるいはそれ以下である。以上のことから三十三年の札幌は、すでに会議所が設立されている函館、小樽に比べて経済力に乏しく、会議所を設立するには時期尚早であったことがわかる。それをさらに確証させるものとして、会議所の区域に関する問題がある。
 三十三年九月六日、すなわち申請書が提出されるまでひと月とない直前になって、会議所設立発起人会では豊平村の一部を会議所区域に編入している。商業会議所条例によると、第三条に「会議所設立地ノ境界ハ市町村ノ区域ニ依ルヘシ但土地商業ノ情況ニ由リ数市町村ノ区域ヲ互ニ連合シテ其地ニ一会議所ヲ設立スルコトヲ得」とある。したがって豊平村の一部を会議所区域に編入することは、何ら差し障りのあることではない。豊平村の〝一部〟とはどこを指すのか、あるいは営業税の納税者がどの程度いたのか等、検討の余地はあるものの、会議所区域を広げることは、設立認可を受けるには充分な条件を満たしていない札幌の苦肉の策であったと思われる。
 三十三年の会議所の設立は俱楽府員の予想どおり実現ならなかった。見通しが立たないながらもあえて計画を推し進めたのは、俱楽府の低迷期にあって府員の意志の統一をはかり、俱楽府を再興させることが緊急課題だったからである。