選挙にあたっては、まず中正会が名乗りをあげた。中正会は「会員相互の交誼を厚ふし札幌区に起る総ての公共問題は中正不偏に之を解決し努めて一区の発展を図り且会員中天災若くは疾病其他の不幸あるときは之を慰め之を弔するは勿論会員以外と雖も世の認めて不幸者となすものに対しては出来得る限りの至情を表する」(北タイ 明39・1・28)ことを目的に、祭典区第十区(大通以北線路内創成川以西各町)内の有志によって三十九年一月二十八日創立された。阿由葉宗三郎を幹事に、会員は大竹敬助、松尾留太郎、桑原雄造、安部腰次郎、金子久吉、佐々木源六、山本金五郎、小林森三など一〇〇余人にのぼっていた。中正会では、満場一致で議員の予選を行うことが決議された(北タイ 明40・2・5)。予選で選ばれた三一人は、俱楽府の幹部の調整によって議員定数三〇人の候補者を出す手筈になっていた。ところが、中正会に対抗して候補者を出す団体が後を絶たなかったため、選挙戦は激しいものとなった。