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会議所の復権

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 全国商業会議所聯合会のこのような動きを受けて、四年七月農商務省は改正案の草稿を始め(北タイ 大4・7・8)、五年四月二十七日にはついに商業会議所法は改正された。経費の徴収に関わる第三三条は「経費又は過怠金を滞納する者ある場合に於て会頭の請求あるときは市町村は国税滞納処分の例に依り之を処分す此の場合に於て商業会議所は其の徴収金額の百分の四を市町村に交付すへし」と改められ、会議所は経費の強制徴収権を取り戻した。商業会議所法の改正をはさんで、経費の徴収額の変化を追ったのが表25である。
表-25 経費の徴収成績表
調定額徴収額未納額有権者数徴収額
伸び率
有権者数
伸び率
明403,736円57銭2,086円77銭1,649円81銭792人
 416,250.665,751.9319.3390817514
 426,498.344,965.62208.92960-135
 435,425.004,283.11600.871,015-135
 445,555.563,868.881,686.681,050-93
大 15,856.184,280.971,575.211,02910-2
  25,714.983,460.162,254.821,011-19-1
  35,764.523,165.752,598.77851-8-15
  44,800.632,627.372,173.26745-16-12
  56,041.1682512910
  67,469.3070923-14
  712,817.6112,715.18102.438667022
  814,729.9614,616.60153.361,0031415
  920,143.811,4023739
 1024,705.9723,399.851,306.121,5711612
 1130,448.781,9403023
1.明治40年についての徴収額,未納額は『北タイ』(明40.7.20)より採録。
2.明治41~43年の未納額が目立って少ないのは,所在不明及び廃業等により欠損とみなした額が含まれていない(札幌商業会議所半年報明45上半期)ためである。
3.『札幌商業会議所年報』(第1~11回),『札幌商業会議所報』(14,17,24号)より作成。

 まず明治四十年代の徴収額と有権者数の伸び率を比較してみよう。四十年から四十一年にかけては、有権者数、徴収額共に増加しており、会議所は、順調なスタートをきったかにみえる。しかし四十年の未納額は徴収額と大差はなく、したがって調定額の約二分の一程度しか徴収できなかったことを示している。四十二年からは徴収額は減り始めるとともに、有権者数は伸び悩み始めている。経費の強制徴収権が剥奪され、経費の不足が調査活動に支障をきたし、月報が廃止に追い込まれたのがこの時期であった。徴収額が減り続ける中で、大正元年に徴収額が僅かに増えているのは、督促に手数料の制度を設け、新聞には勧告記事を出し、さらには訴訟に持ち込むことを明らかにした成果といえよう。元年から六年にかけては伸び悩んでいた有権者数が減りはじめ、四年、六年には会議所が設立した当時の有権者数を下回った。折しも第一次世界大戦期にあって、商業における生産価額が低下した時期でもあった(本章一節一項)。生産価額の低下すなわち営業税額の低下が、有権者数の減少をひきおこしたのだろう。とりわけ規定納税額の中で低額納税者が有権者の半数を占めた札幌では、僅かの景気変動にも左右されやすい有権者を多く抱えていたといえる。六年以降生産価額が上向きになると同時に、有権者も再び増え始めている。それをしのぐほどの伸び率をみせているのが五年以降の徴収額である。五年の徴収額は一挙に前年の二倍以上の成績を納め、六年には有権者数が減っているにもかかわらず、徴収額は前年を上回っている。このことは、会議所が経費の強制徴収権を取り戻した成果といえよう。
 会議所では六年四月に「札幌商業会議所報 第一号」を創刊している。この所報は、経費節減のために廃刊となっていた月報の再発刊であった。
……此秋に当り商業会議所法の改善に由れる新進議員の選良に伴ふ活動の見る可きあるは吾人の大に期待する処にして此際当所月報の再発刊するに至れるは旺洋たる我商工業界の為誠に賀す可き現象なりとす。
(札幌商業会議所報 第二号)

 ここでいう〝商業会議所の改善〟とは、先の商業会議所法の改正を指しており、およそ九年の歳月を経て所報を発行できたことは、会議所の運営が改善されたためといえる。
 八年から十一年にかけては、有権者数と徴収額がほぼ同じ伸び率で増加しており、運営が安定するとともに、その活動も軌道にのったとみてよいだろう。