ところが札幌石材会社は、区会がなかなか同意しないため、路線を短縮して石山山鼻間とし、石材角材および農産物の運搬を目的とすることに変更して、願書を却下することにした(北タイ 明35・7・30)。その後日露戦争による外国品輸入制限のために事業中止命令が出され、敷設計画は延期された。その後三十八年から敷設をはじめた(小樽新聞 明41・10・13)が、やっと四十年七月十八日、札幌区外の穴の沢と山鼻の間は馬車鉄道敷設が認可された(北タイ 明40・7・25)。この工事については道庁長官の認可を得ずに起工していたため、一時道庁から軌道撤去を指令された(北タイ 明41・5・29)が、八月二十一日起工認可をうけた(北タイ 明41・8・25)。四十二年六月石山札幌間の鉄道馬車の試運転を始めた(北タイ 明42・6・14)。