この開戦以降、やつぎばやに区民総ぐるみで戦争の後援活動が展開されていたが、その後はなかなか戦勝の報は入ってこなかった。やがて二カ月後、旅順港閉塞作戦を進めていた日本海軍が四月十三日に旅順沖でロシア東洋艦隊に遭遇して戦闘となり、ロシア艦隊の旗艦ペトロパウロスク号は沈没し、マカロフ提督が戦死する旅順海戦の報が伝えられた。この報が伝えられるや、
北海タイムス社では十五日の紙上に、十七日の戦勝大祝賀会の開催を予告した。当日の祝賀会は
大通西四丁目にて午前九時に開始され、その後は
中島遊園地との間を往復する仮装行列が行われた。仮装行列は音楽隊を先頭に、一二祭典区などの仮装が続き、一万数千人が参加する盛大なものであった。午後六時からは十時まで提灯行列が繰り広げられた。この夜、
札幌座では広瀬武夫中佐をモデルとした「鳴呼軍神」などを上演する
戦勝祝賀演劇会が行われ、利益金は
札幌奉公義会に寄付された。
写真-1 戦勝大祝賀会の仮装行列風景(北タイ 明37.4.19)