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職工の待遇問題と労働状況

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 北海道製麻会社は、少ない時で八〇〇人、多い時には一二〇〇人の職工を擁しており、常に数々の労働問題が発生していた。繊維産業は当時の日本工業の中心を占め、輸出品としてもウエイトが高く、外貨獲得と生産向上のために厳しい操業体制を敷いていた。工場の主要な労働者は女性であったが、数少ない女性の働き口であった女工は、当時は人気の高い〝花形職業〟でもあった。しかしながら労働条件は過酷であり、会社の利益追及の犠牲となる人々も少なくはなかったのである。大正十四年に細井和喜蔵が著わした『女工哀史』には、女工たちがおかれていた状況が克明に描かれている。札幌でも製麻会社の女工を中心に様々な〝女工哀史〟が展開されていた。
 新聞には製麻会社における職工(男工・女工)の待遇問題と労働状況についてしばしば報道されている。問題となっているのは募集条件との相違、労働賃金、過酷な労働状況、寄宿舎の食事、工場・寄宿舎の衛生と職工の健康管理、会社側の圧制などであった。