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寄宿舎の食事

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 職工たちが一様に不満としていたのは、寄宿舎の食事、賄(まかない)であった。例えば、
寄宿舎賄方の如きは…物価騰貴とは云へ、食物の如きは言語道断にして豚の取扱にも異ならす、現今は印度下米の粗質なるものを用ひ、漬物は南瓜の塩漬と昆布の汁の実等にて、魚類杯は昨年来食はしめす。

といわれ(道毎日 明31・4・27)、一日の食費一四銭の割には粗悪であることが糾弾されている。寄宿舎の賄は会社で一部を負担して請負に出されており、賄料の相当部分が営利にまわされていたようである。また、
賄方に至りては飯も三椀より与へず、若し食堂に就く事後れたる場合には、飯櫃を取上げ一椀も与へられざること多く、菜はわかめと蕨に切干の煮物を僅かに皿に入れしもの、この侭にて働く時は生命も危うく業務に堪へざることは勿論……

といわれ(道毎日 明33・7・21)、あまりの粗末さに「生命も危う」いことがいわれる状態にいたっていた。体力を消耗する激しい労働、育ち食べ盛りの若い身体には不相応な食事であり、カロリー・栄養不足により病気となるものも多かったと思われる。上記の記事は新潟県出身の女工(二三歳)が、会社の虐待を警察に訴える事件の報道であるが、部屋の定員は二〇人であったがみな「身体衰弱」しており、その内七人は床に就いており、「食物も碌々に与へられず空しく死ぬのを待つ有様」であったという。