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職工の取締り

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 工場における過酷な労働、会社の高圧的な労務管理、出来高を争う激しい競争社会、前借金に縛られた三年の〝年期奉公〟、寄宿舎での監禁的生活、異郷における孤独感などにより、職工たちは体だけではなく心もむしばまれ荒廃していった。
 会社が最も恐れていたのは「逃亡」であった。寄宿舎の周囲には高い塀が巡らされ、門のところには守衛がいて常に監視をしていた。日常的に工場・寄宿舎内に隔離された生活を送っていたといえる。そのほかにも様々な「逃亡」防止策をとっていたと思われる。「逃亡」する恐れや会社に反抗的な女工には体罰を加え、食事も与えず、休日にも外出を許さず寄宿舎や倉庫での監禁生活を強いた。重度の伝染病患者に対しても同様な処置をとり、死に至らしめることもあった。ただし「逃亡」は、募集職工の前借金とからむ問題であったが、明治四十年代頃には志願職工の〝自由な労働者〟が増加するに従い、問題の深刻さは薄れていった。
「逃亡」するだけではなく、社内における風紀紊乱、売春、女工同士の対立なども頻発していた。会社では女工取締役をおき、また寄宿舎では舎監をおき、各室にも年長者を室長に任じ女工の取締りにつとめていた。
 職工の取締りのために、三十年から警察官が寄宿舎を臨検するようになり、三十三年八月二十二日に会社側の要請により請願巡査派出所も設置となった。