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職工の居宅と勤続年数

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 明治四十三年に札幌支店が編纂・刊行した『帝国製麻株式会社一覧』により、札幌工場の職工の状況をみてみよう。まず当時の職工数は八五一人であったが、居住別の人数は以下の通りであった。
         男工    女工    合計
  自宅通勤  一一三人  三三三人  四四六人
  社宅居住   六五人   六四人  一二九人
  寄宿舎    二四人  二五二人  二七六人
        二〇二人  六四九人  八五一人

 これでみると、男工・女工ともに半数以上は自宅通勤となっている。かつては職工の多くを東北・北陸地方から募集していたために、寄宿舎住まいの割合が高かった。明治三十一年の場合、自宅通勤が三割、寄宿舎が七割であった(道毎日 明31・11・18)。それに比較すると二割ほど自宅通勤が増えている。これは、札幌区内でも志願の就職者が増加していたことを示しているといえよう。また一方では、寄宿舎の窮屈な生活を嫌い、区内に部屋を借りるものもいたと思われる。社宅は家族持ちに与えられていたが、女工でも「多年勤続セルモノ嫁シテ一戸ヲ構ヒ引続勤続スルモノ」には貸与されていた。ただし四十四年の作業員社宅数は一〇棟七七戸しかなく、男工・女工ともにほぼ同数の点からみると、共稼ぎ夫婦に優先的に割り当てられていたようである。寄宿舎は男工で約一割、女工で約四割となっており、当時は意外と少なかったといえる。
 次に職工の勤続年数をうかがってみると、表1の通りである。これによれば、一年未満が約三分の一を占めている。また一、二年以上三年未満も多く、この三者をあわせた割合は、実に六割にも及んでいる。このように三年以内という勤続年限の短いのが当時の職工の実情であった。これは東北地方で募集する際に、年期は三年契約とし、五円から二〇円の前借金を三年以内に返済することになっていたからである。それゆえに、女工は三年をめどに働くのが一般的であった。それでも三年以上五年未満の割合も三割ほどあり、だいたい長くても五年ほどで退職するのが常であったようである。
表-1 職工の勤続年数
勤続年数男工女工合計割合
1年未満38人243人281人32.5%
1年以上287710512.2
2年以上308711713.5
3年以上2910713615.7
4,5年以上379012714.7
6年~9年1849677.8
10年~14年1114252.9
15年~19年0110.1
20年以上3250.6
合計194670864
『工場要覧』(札幌製品工場,明44)より作成。