日清戦争の戦中、戦後の好況と資本主義の発達により、急激に膨張した日本の経済であったが、明治三十年に入ると一転して不況に見舞われることになった。そして労働者の失業、賃金カットがみられるようになり、これに対して同盟罷工(ストライキ)などの労働争議も発生していた。
労働者の団結と立場の強化をめざして日本で初めて結成された労働組合は、明治三十年七月に片山潜、高野房太郎などによりつくられた労働組合期成会であった。同会の支援下部組織として十一月に鉄工組合が創設され、まもなく全国に支部の設置をみるにいたった。北海道でも三十一年十月に滝川に第二十九支部、三十二年三月に旭川に第三十四支部が設置されていた。いずれも鉄道工場の鉄工たちが組織したものであった。
札幌には、三十二年五月に北海道製麻会社の職工たちにより、第三十五支部が設置された。『労働世界』第三〇号(明32・2)によると、「札幌製麻会社修繕部に在勤せらるゝ岩本憲英外数氏には組合の必要を認め、同職相携ゑて入会し一支部を起さんと尽力中」と報じ、支部設置の近いことを伝えている。その後支部は、三十二年五月三十日に職工二一人で創立され(北七条西一丁目一番地)、九月には四五人が本部費を納入している。役員は幹事―岩元(本)憲英、会計―本間国五郎、庶務委員長―南幸三郎・知野次吉・山本倉吉、救済委員―久保田馬吉・谷村成三であった(渡辺惣蔵 北海道社会運動史)。
片山潜は組合支援の東北・北海道遊説のために七月に来道し、十九日から二十三日まで滞札して「労働者保護問題」など四回の演説会を行っている。