ビューア該当ページ

日赤道支部の活動

526 ~ 528 / 915ページ
 日清戦争の際に「赤十字幻灯会」や「赤十字演説会」を開いて、戦時における赤十字事業の理解を仰いだ日本赤十字社(以下日赤と略)道支部は、その社旨「救国恤兵」(国家の難儀を救い、戦地にいる兵士に金品を贈って慰めること)の精神にもとづいて、日露戦争勃発と同時に日赤救護員として医師や看護人、日赤看護婦(三節参照)を派遣し、社員の増募につとめた。
 すでに日赤道支部では、明治三十三年(一九〇〇)の北清事変の際にも看護婦松原コヨを派遣していた(護国之礎)。日露戦争勃発に際して日赤道支部では、三十七年二月まず第六救護班を函館要塞病院へ派遣した。構成は、医師三人、看護婦長二人、看護婦二四人の延べ総数三一人であった。同班は、三十八年二月旭川予備病院転属となり、同年十二月二日救護員の勤務を解かれるまでそれぞれの任務についた(同前)。
 いま一つ第一〇二救護班は三十七年七月、日赤本社にまず集合を命じられたのち、医師三人、看護人長二人、看護人三二人の延べ総数四〇人が、広島より安芸丸に乗船、青泥窪兵姑病院(だるにーへいたんびょういん)第二分院に派遣された。ここでは職員の宿舎をはじめ食糧さえ不足の状態であったが、不眠不休で救護活動にあたった。八月末より病気に罹患する職員が続出、死者さえ出した。のち第一〇二救護班は、龍頭、旅順に転属、旅順第四病院ではロシアの士卒傷病兵をも収容して看護にあたった。三十八年二月末には大連兵站病院に転属、三月中に大連を通過した病人総数は五万人にも達したが、救護活動の任務を遂行した。十一月はじめ以来、戦地救護班の引揚が開始され、十二月十一日東京で解散した(同前)。
 以上の救護班のうち、第六班の勤務日数は六六四日、治療患者数は一八九七人にのぼり、また第一〇二班の勤務日数は五〇五日、治療患者数は一万五五一六人にものぼったという(同前)。
 このほかに臨時救護班も編成され、その派遣回数は一〇回、派遣人員は延べ総数二二人にものぼった。このうちには、三十七年九月から病院船弘済丸で勤務した乗組看護婦二人、陸軍病院船横浜丸で勤務した乗組看護婦九人も含まれていた。これら病院船乗組看護婦は、不慣れな船中にあって熱心救護につとめ、札幌出身の一柳ツカ(三節参照)ほか二人が病死している(同前)。結局、日露戦争で派遣された日赤道支部救護員の死者は、医師一人、看護人一人、看護婦三人の計五人にのぼった(同前)。
 日赤道支部の戦時における主な任務は、直接戦地での救護であったり、戦地から国内の病院に送られてくる傷病兵の救護といった救護員の派遣のほかに、道支部各委員部ごとに社員を拡張して、醵金を募ることにあった。戦争が勃発した三十七年二月には、札幌委員部でも新たに一九一人が入社し(北タイ 明37・3・13)、同月全道でも一万五一一人が入社した(北タイ 明37・3・15)。社員は、特別社員(二〇〇円以上醵金した者)、終身正社員(一時金二五円醵金者)、正社員(年醵金額が三円~一二円の者。ただし明治四十三年三円以上と改正)、終身賛助社員、賛助社員(年醵金額が一円以上三円以下)からなっていた(北海道の赤十字 その百年)。表1は、日赤道支部創立以来から大正十一年までの全道と札幌区の社員数を示したものである。全道でみると、戦争勃発前の三十六年と三十八年とでは一・五倍の増加を示している。札幌区の場合三十八年以前が明らかではないが、同じ傾向とみて差し支えないであろう。また明治三十九年と大正十一年とを比較すると、大正十一年では一・五倍に増加しているのが知られる。これは、第一次世界大戦やシベリア出兵が大きく影響していると思われる。
表-1 全道・札幌区日赤社員数(明20~大11)
全道札幌区
有功賞社員特別社員終身社員正社員終身賛助社員賛助社員合計
明20年40人
21167
22405
261,638
273,503
285,085
3614,550
3718,777
3821,440
3925,9681434681,166711,686
4027,4211425081,50872,066
4128,0003395441,598632,193
4227,1133395911,332621,973
4326,3313356681,312522,025
4426,6998527801,408812,257
大 126,16610478111,161712,037
227,403941830874711,762
329,9451050931963711,962
431,807853902775711,746
534,67575497659871,642
637,00365886261271,545
742,0758851,19980572,104
844,5348821,4974672,054
945,278131021,3791,06071,057
1046,360???????
1148,508221121,48691362,523
「全道」は『北海道の赤十字その百年』より,「札幌区」は明治39年のみ『護国之礎』より,40年以降は『札幌区統計一班』より。

 日赤活動はこのように、戦時救護とその準備、蓄積に徹していた。このため道支部の各委員部での社員の増募とともに、ボランティアである篤志看護婦人会(三節参照)の活動も見逃すことはできない。