世界大戦による資本主義経済の高度化にともなう影響は、従来から地代・借家賃の高い札幌の場合、急激な人口増から住宅の払底、借家賃の高騰に拍車をかけた。
このため、大正八年札幌区では、区営住宅建設計画を立て、九年十月南一六条西五、六丁目に九二戸を建て、俸給生活者に月額八円五〇銭から一一円で賃貸した(札幌市統計一班)。
一方、政府によって十年四月法律第六六号で住宅組合法が公布、七月実施により、都市中産階級に自助組合を作らせた。これにより、低利資金の貸付を受けて住宅を建設するとともに、住宅組合は法人格を取得し、課税その他特典があった。十年、札幌でも内務・大蔵両省の許可のもと八万円を貸与、三組合四一戸が許可された(札幌市事務報告)。翌十一年段階では、藪特設(大通西15)・山鼻住宅建築(山鼻町)・第一道庁員住宅(同)・協益住宅(同)・辛酉住宅(大通西16)組合が認可を受け(札幌市統計一班)、組合員の住宅取得を容易ならしめた。