いわゆる出獄人保護のための授産事業としては、明治三十一年の免囚保護協会までさかのぼる。四十三年、出獄人の再犯防止・更生のために教誨事業に関係の深いことから、山鼻町の真宗大谷派本願寺別院内に北海道授産場が設置され、石蠟製造などの作業に従事させた(北タイ 明43・7・18)。大正元年、北海道内に出獄人が一〇〇人余り増加することとなり、北海道授産場協議会では、運営資金として五万七〇〇〇円を募集したりしたが、これを契機に毎年司法省より四〇〇円、道庁より一五〇円の交付金が受領できることとなった(北タイ 大1・10・19)。二年、授産場は苗穂町に新築移転した。大正期の授産場で取り扱った免囚保護者は、六年中で直接保護八三人、間接保護八一人、一時保護二三六人の計四〇〇人にのぼった(北タイ 大7・12・10)。九年には財団法人組織替えとなっている。
このほか、大正元年札幌大化院(南1西14)が創立され、失業者救済の目的で諸種の事業を行っていた(北タイ 大4・5・6)。