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レース・毛糸編み

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 絹糸をもって編むレース編みや毛糸編みが札幌に入ってきたのは、やはり日露戦争期である。当時大通西九丁目に住む水沢照美という女性が、東京の絹糸編物所で修業して帰札、「婦人の内職として至極良好」という宣伝で自宅で伝習所を開いたのが始まりのようである。伝習専門部と内職専門部との二部構成で家庭の主婦や少女たちを対象に月五〇銭から一円五〇銭で教えた。一、二カ月の講習を受けると、保証金二円を納め同時に原料が渡され、各自家庭でせっせとレース編み作業に専念するのだった(北タイ 明38・3・26)。このほか南三条西一一丁目にも毛糸・レース編物教授製造所工手館があり、毛糸編み・レース編みを教授し、卒業生の成績品の展示会も行っている(北タイ 明38・10・14)。