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開館直後の利用状況

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 同会では北海道教育会附属図書館(以下教育会図書館と略)の運営の指針として「北海道教育会附属図書館規程」を制定した。これは「図書館設置ノ義開申」に添付したものであるが、次のことを規定していた。
第一条 本館ハ本会所有ノ図書及他ヨリ寄托ノ図書ヲ貯蔵スル所トス
第二条 図書掛員ノ外図書ヲ検索出入スルコトヲ許サス
第三条 図書ヲ借受セント欲スル者ハ備付ノ図書目録ニヨリ借用切符ニ図書名ヲ記載シ図書掛員ニ差出スヘシ
第四条 官庁学校等ヨリ図書ノ借受ヲ照会スルトキハ差支ナキモノニ限リ之ヲ貸付スルコトアルヘシ
第五条 借受シタル図書ハ他ニ転貸スルヲ許サス
第六条 借受ノ図書ハ閲覧室ノ外ニ携帯スルヲ許サス但シ特別許可ヲ得タルモノハ此ノ限リニアラス
第七条 借受シタル図書ヲ紛失シタルモノニハ之ヲ償還セシム
第八条 借受シタル図書ヲ毀損或ハ汚染シタルモノニハ其実況ニヨリ之ヲ償還若クハ修復セシムルコトアルヘシ
第九条 図書閲覧室ニ於テハ喫烟、音読、談論等総テ他ノ閲覧者ノ障害トナル挙動ヲ為スヘカラス
第十条 図書閲覧時間ハ日ノ長短ニヨリ時々室内ニ掲示スヘシ

 この規程は、図書の閲覧・貸出の規則と閲覧者のマナーなどを定めたものであるが、開館当初から大正四年まで適用された。
 それでは開館当初の教育会図書館の運営の実態はどのようであったのだろうか。三十三年六月に開催された同会総集会の「前年中の会務及事業報告」中にそれを窺うことができる。『北海道教育雑誌』には「前年中」と記されているが、収支決算書などの内容から勘案して、「前年度中」と解釈すべきである。「附属図書館ノ事」として次のように述べている。
 図書ノ蒐集ニ着手シタルニ東京各書肆ヨリ陸続寄贈ヲ得従来備付ノ分ヲ合シテ五百余部ニ上リタルヲ以テ不十分ナカラ公衆ノ閲覧ニ供スルコトヽシ昨年十一月二十八日図書館令ニヨリ文部大臣ニ規程ヲ具シテ開申セリ縦覧人ハ最初甚タ少数ナリシモ解雪後漸ク増加シツヽアリ備付図書ハ合計五百八十七部一千〇七十七冊トス(小学校教科書類ハ参入セス)

 この報告から明らかなように、開館当初の教育会図書館は蔵書数も小学校の教科書類を除いて一〇〇〇冊余りと非常に少なく、そのほとんどが出版社からの寄贈であった。『北海道教育雑誌』第八五号には「本会図書館寄贈書目」として、その出版社別内訳が詳細に記されている。それによると、寄贈は国光社、同文館、金昌堂、集英堂、三省堂、富山房、魁文社、右文館、大日本図書株式会社、博報堂、吉川半七、開発社の各社からで、魁文社(函館区)以外はすべて東京の出版社であった。寄贈図書の合計は九二〇冊に上り、内容的には中等学校、師範学校の教科書類と教員向けの教育学関係書がその中心で、「主として教育書類に力を尽くす」(小樽新聞 明32・12・23)という当初の方針の通りであった。この蔵書構成から考えて、「公衆ノ閲覧ニ供スル」という公共的な設立目的を掲げてはいたが、必ずしも広範な区民の閲覧を念頭に置いていたわけではなく、会員制図書館の域を脱していなかった。したがって、閲覧者が少なかったことはむしろ当然の結果といえよう。