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明治末期の札幌区民の読書傾向

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 これまで述べてきた、北九条尋常高等小学校附属通俗図書館戊申文庫が開館した明治末期の札幌区民は、どのような本に読書の楽しみを見出していたのであろうか。明治四十三年の『小樽新聞』は二度にわたって「札幌の読書界」と題する同名の記事を掲載し、札幌区民の読書傾向を報じている。興味深いのは貸本屋の独立社(大通西五丁目)の主人へのインタビュー記事である。独立社の主人は区民の「読書趣味」を、次のように三期に区分する(小樽新聞 明43・12・24)。
一期は御伽話、冒険小説、草双紙(八犬伝、太閤記等)、二期は興味小説、即ち掬丁、幽芳、水蔭、弦斎等の作物、三期は逍遙、鴎外、漱石等の作物、新進作家の小説、翻訳物、脚本物

 このうち一、二期の読者は女性、青年、官吏、小中学生で、三期のそれは漱石の作品を除き、大学生(東北帝国大学農科大学)に限られていた。当時、性別や階層を超えて多くの読者を獲得した作品は、徳富蘆花『寄生木』、尾崎紅葉『金色夜叉』であった。また、四十二年頃からよく読まれている作品として、福本日南『元禄快挙録』、島崎藤村『春』、黒岩涙香『噫無情』『巌窟王』、夏目漱石『我輩は猫である』『三四郎』『それから』、田山花袋『妻』などを挙げている。これらは主に大学生に読まれた。人気作家の第一位は夏目漱石である。それに黒岩涙香、徳富蘆花が続いている。自然主義文学の田山花袋や島崎藤村は大学生に人気があり、泉鏡花、二葉亭四迷、森鴎外の作品は一部の読者に限られていた。
 独立社では多いときには一日八〇冊を貸し出していたという。これらの作品の大半は、西欧文化との接触を通して形成された近代的自我が、日本の社会の現実と衝突するありさまを描こうとしていた。札幌区民はそこに自己の姿を重ね合わせたに違いない。
 同じ時期、札幌区民に最も人気があった雑誌は、博文館、実業之日本社発行のそれである(小樽新聞 明43・9・13)。博文館では『少年世界』『少女世界』『中学世界』『太陽』など、実業之日本社では『婦人世界』『実業之日本』などがこれに該当する。分野別に見ると、総合誌では『中央公論』『日本及日本人』、文芸誌では『ホトヽギス』『早稲田文学』がそれぞれ一定の読者を獲得していた(同前)。