川柳もおそらく明治期からの活動もあったと思われるが、川柳雑誌としては、大正三年に札幌でオホツク会から『仔熊』、札幌川柳会より『くまのへそ』が創刊されたのがその最初といわれる。引き続きオホツク会から『オホツク』が出され六号まで刊行された。ついで六年にわがまま社が『わがまま』を発刊、『十一洲』と改題して七号まで続いた。その後オホツク会と札幌川柳会が合併した札幌アツシ会が『アツシ』を刊行して一六号まで続き、翌七年北海川柳社と改称して『鏑矢』を発行し、二〇号まで続いた(斉藤大雄 北海道川柳史)。同会は七年八月に札幌で東京から井上剣花坊らを招いて北海道川柳大会を開催した。
以上これまで述べたほか、短詩型文学で特筆すべきは新聞であった。たとえば『北海タイムス』は「タイムス詞壇」の欄を設け、漢詩、短歌、俳句などを掲載し、選者にはたとえば俳句は青木郭公などがあたった。また少なくとも大正二年までには「タイムス新川柳」の欄も設けられている。