このような日本美術院の展覧会も一つの契機となったのであろうか、三十八年に至って、すでに札幌在住の美術家によって結成されていた北海美術研究会で、会員の美術研究に資するため、および一般への美術普及の目的で、美術共進会を開催することとなった。会名を第一回絵画展覧会とし、林竹治郎、菅原翠洲らを発起人とし、加藤寛六郎、大竹敬助、関場不二彦ら名士多数を賛助員とし、六月三、四日の両日開催したが、出品点数は洋画七〇点余、日本画六七点、計一四〇点余あり、入場者も二〇〇〇人に達する盛況であった(北タイ 明38・6・6)。第二回は同年十一月三日から三日間開催され、今回は絵画にとどまらず手工芸品の出品もあって二〇〇〇人の入場があり、中でも「当地出身の日本水彩画の泰斗」三宅克己の「並木」等の作品が注目をひいた(北タイ 明38・11・5)。