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維新堂

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 南一条西四丁目に布川栄助を店主として開店した(札幌市史 文化社会篇では明治三十九年創立となっている)。『札樽便覧』では「停車場通の好位置を占め、客によりて価を二にせざると、店頭の陳列先つ購読者をして、多大の利便あらしめ、取引の誠実廉価為めに顧客の称揚する処たり」と紹介されている。
 維新堂の出版物は数において冨貴堂に及ばないが、『温故写真帖』(明42)のような貴重なものを出版している。表紙は東京美術学校教授長原止水に図案を求めたもので、内容としては明治五年(これは明治四年の誤り。渋谷四郎 札幌写真事始 札幌の歴史一〇号)の札幌全景、開拓使本庁札幌本陣、明治初年の札幌神社ほか数十葉の写真が納められている(北タイ 明42・8・25)。これは四十四年に東宮殿下の行啓を期に内容を訂正し記念再版されており、初版と比較すると「札幌村の堀割」「篠路村」というタイトルの写真が省かれている。印刷は東京で行われたが、この時期ようやく普及してきたコロタイプ版による出版物として注目される。
 コロタイプ版の普及は、地図とともに絵葉書、写真帖などの出版物増加につながり、やがてこれらは北海道出版界の主流となっていった。中でも絵葉書は当時ブームのピークであったため、維新堂その他の書店でも発行が相次いだ。このことについては、後述する。