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開拓神社の創立

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 道庁では十二年に開道七〇年記念事業として札幌神社境内に開拓慰霊塔の建立を計画した(北タイ 昭12・11・10)。慰霊の対象は、「一産業に限らず開拓の全事業に渉り、又無名の人士に限らず有名なる功労者で未だ祭祀されざる霊を加へること」とされ(北タイ 12・3・27)、開拓奉斎殿を造営して第一回の例祭が十三年七月十五日に執行されていた。その後、開拓奉斎殿の神社への引き直しがはかられた。しかし、神社として必要な祭神の決定がこの時点ではなされておらず、道庁では開拓功労者調査会を設置して三六柱の祭神を決定し内務省に申請した。内務省では祭神が開拓功労者という異例に属するので、認可上には問題があったのであるが、
(一)社格は札幌神社の末社として社殿を札幌神社に寄附し供養料は地方費より支出す。
(二)祭神は有名無名の開拓功労者を合祀するが神社である以上、祭神を明白にするを要するので三十六柱の功労者を表面の祭神と定める。

ことで決着し、十三年十一月十八日に「北海道開拓ノ先覚ニシテ功労最モ顕著ナル三十六柱ヲ祭神トスル開拓神社札幌神社境内ニ創立シ、之ヲ末社ニ指定方内務大臣ニ稟申」し、同月二十八日に許可となった(開拓神社明細帳 北海道神宮史 上巻)。こうして開拓神社の創立が認可となり、十二月三日に鎮座祭が行われ、以降八月十五日に例祭が執行されていくようになる。