金光教ではこの時期、市内に布教所や教会を多く設置し教勢を拡大していた。まず大正十二年十月十三日に白石小教会(白石町6番地)が設置となっていたが、白石方面は十一年三月から清水三太郎により布教に着手されていた。白石小教会は昭和二年七月に豊平二条五丁目に移転し、三年二月に東札幌教会と改称になる。昭和に入って六年に円山布教所(昭13閉鎖)、六年六月二十一日に大通布教所(大通西15、昭9・4・12西札幌教会と改称)、七年十月七日に苗穂教会(北3東3、後に北10東8へ移転。昭9・12・1北札幌教会と改称)、八年七月十三日に山鼻教会(南17西7)、十年六月十日に鉄北大通布教所(北8西3、昭14・12・2北八条教会と改称)という具合に(金光教北海道布教百年史)、多くの布教所・教会をみている。
金光教札幌教会所では、教会長が西村道雄(大15・7・18)、西村茂(昭13・7)と交代しているが、昭和七年五月十四日に別館の落成祝祭が行われ、青年会にて公開講座を開催していた。