これらの災害を市民から守るための体制はどうなっていたのだろうか。表23は、
札幌市の公設・私設の消防組を示したものである。この表からわかるように、市内に公設は一組、これに対し私設が多い時には二九組もあって、組員の数においても公設の二倍から三倍とまさっていた。しかし、私設の方は組数においては昭和六年の二九組、組員においては昭和四年の八一二人、ポンプ台数においては昭和五年の四四台をピークにジリ貧状態となってゆく。これは、商店、料理屋、旅館、会社といった単位からなる自衛の消防組織であった。さらにポンプ台数の内訳でみると、公設の方には自動車が半数を占めたのに対し、私設の方は手動、ガソリンに頼っていたといった違いが見受
けられる。自動車による消火活動は、まず大正十年に公設消防組に導入され、
私設消防組には昭和四年に三台導入されたことが『
札幌市統計一班』から知られる。
札幌市では、
私設消防組を大正十二年五月に二〇組、五〇七人、ポンプ台数二五台で設立させ、一旦火災発生の場合には公設、私設を問わず消火活動を行うようになっていたが、昭和初期の不況、日中戦争の勃発等による諸般の事情でジリ貧状態になったのではあるまいか。
私設消防組は、時々
私設消防組だけで大通広場において合同演習を行っている(北タイ 昭4・7・8)。
年 | 公設 | 私設 |
組 | 組員 | ポンプ台数 | 組 | 組員 | ポンプ台数 |
大11 | 1 | 269人 | 20台 | | 人 | 台 |
12 | 1 | 269 | 20 | 20 | 507 | 25 |
13 | 1 | 269 | 19 | 20 | 559 | 27 |
14 | 1 | 269 | 19 | 22 | 604 | 26 |
昭元 | 1 | 268 | 19 | 21 | 587 | 29 |
2 | 1 | 206 | 19 | 20 | 510 | 28 |
3 | 1 | 184 | 19 | 20 | 546 | 28 |
4 | 1 | 184 | 19 | 21 | 812 | 34 |
5 | 1 | 183 | 19 | 24 | 650 | 44 |
6 | 1 | 183 | 24 | 29 | 631 | 36 |
7 | 1 | 182 | 24 | 15 | 520 | 16 |
9 | 1 | 182 | 22 | 10 | 319 | 12 |
10 | 1 | 185 | 26 | 11 | 514 | 21 |
11 | 1 | 185 | 21 | 10 | 492 | 19 |
12 | 1 | 185 | 20 | 9 | 458 | 21 |
13 | 1 | 185 | 24 | 9 | 451 | 21 |
札幌市では、昭和二年創成川畔豊平館前に
消防本部と「百三十余尺」(約三九メートル)の大望楼を建設して火防体制に備えた(北タイ 昭2・8・27)。