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道路修繕

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 札幌の道路の整備は、以前から道路開削と道路修繕として行われていた。道路開削は道路の新設のことであるが、道路修繕は砂利敷きであった。前巻でも記述したとおり、市民から幾度も、泥沼化する道路であるとしてその改善を求められていた。特に北六~一八条の道路のように、道路開削当時のまま修繕がなされず放置されたままで、「雨期若クハ融雪期ノ際ノ如キハ泥濘踵ヲ没スル」ので、砂利を散布することが建議案として提出された(大正十年区会議事録)。しかしその砂利敷きも、市民から見ると「小さいのは二三分夫から大きいのは二三寸はまだ愚か四五寸の大きさに迄及んでゐる」、特にひどいところは「豊平川の河原そっくりと言ひ度い程大きな石塊が道巾一面に敷き詰られ」ていた。これでは、道路改悪だという指摘がなされた(北タイ 大13・6・3)。また昭和五年になっても、地域によっては泥沼化する道路が写真入りで新聞紙上に紹介されている(北タイ 昭5・8・23)。
 おそらくこのような指摘や苦情そして改善の要求が多かったのであろう、区制時代の最後の大正十一年以降の予算書の道路修繕費には、砂利敷き用の砂利をそれまで「砂利」と記述していたのに対し、「篩砂利」と記述されるようになる。砂利敷きを基本とした道路修繕も、単なる砂利から篩にかけた粒ぞろいの砂利に質を変換したようである。その後昭和四年には、道路修繕事業は他市にならって請負から市直営とし(北タイ 昭4・2・24、9・14)、五年頃からは道路修繕の仕方は「採石の上に粗砂をまきこれに撒水して十頓のローラーでかためてゆく簡易鋪装の水締マガダム鋪装」を行うようになって評判が良くなった(北タイ 昭5・11・19)。