実際の水道敷設工事費は、市債で八年度五九万八六〇〇円、九年度六〇万八〇〇〇円、十年度一三七万五〇〇〇円、十一年度七一万四〇〇〇円(表12「土木事業関係の市債発行」では、十一年度の六二万二二〇〇円と十二年度の九万一八〇〇円の別口の市債の合計額)、合計三二九万五六〇〇円である。十~十一年度の給水工事については、起債額十年度三九万六〇〇〇円、十一年度三九万二〇〇〇円合計七八万八〇〇〇円である。国庫補助は昭和八~十二年度分で五〇〇〇円で、最終的な総額は六〇万三〇〇〇円であった。ほかに失業応急補助として二万八九〇八円八一銭であった。総計四一一万七五〇八円八一銭である。
実際の工事竣工は、初年度起債の遅れ、満州事変の勃発による諸材料の値上がりと納入遅延、労働力不足などから十二年六月三十日に延期された。しかし通水式は四月一日に行われた。
以上で昭和六年に認可の申請を行った上水道敷設工事は終了した。しかし、その後の人口急増に対応するため、第二期配水管拡張工事が十年十月一日~十四年三月三十一日の事業として計画されたが、十二年度の単年度事業に変更された(札幌市水道五十年史)。しかし日華事変の影響を受け工事材料が納入されず(昭和十三年札幌市事務報告)、実際の工事は十二~十三年の二年間であった。総工費三五万六五〇〇円、内配水管工事費二二万二五〇〇円、給水工事費一三万四〇〇〇円で、全額市債を発行して財源とした(札幌市水道五十年史)。