十四年十二月三日、公共団体の軌道買収の場合に、買収価格は「市と会社との協定に俟つことゝなって居るに拘はらず、今回市の執った形式は、申込という一方の意志に依ったもの」という価格決定の形式と、提示された価格に承伏できず、会社側は市の申し込みを拒否した(北タイ 大14・12・2、25)。その後も札幌市側は再調査をしつつ、電車会社と協議を重ね、両者の開きは縮まりつつあった(北タイ 大14・12・13、24、15・1・12、14、4・2など)。その中で札幌市は主務省(鉄道省)の大臣に裁定を委ねようとした(北タイ 大15・3・18、4・11など)。道庁で裁定申請書の再調査中に、道庁長官や一柳代議士らの仲裁から両者が歩み寄り、十月一日「電車一切を三百七萬五千円で市に譲渡」する事が内定し(北タイ 大15・10・2夕)、同日の市会でも買収決議がなされた(北タイ 大15・10・2)。両者は十一月二十五日市役所において契約書に調印した(北タイ 大15・11・26夕、26)。その後買収費用となる起債の認可を待って一年が経過したが、昭和二年十二月一日午前零時から札幌市電気局となって、札幌市営電車が成立した(北タイ 昭2・12・1、2)。
写真-5 市営記念の花電車(昭2)