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札幌乗合自動車株式会社

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 札幌のバス事業の嚆矢は不明であるが、大正七年札幌電気軌道株式会社が六人乗りの乗合自動車の運行認可を申請したと新聞に報道された(北タイ 大7・4・26)。十二年二、三月頃、奥泉安太郎坂井藤五郎が発起人となって札幌乗合自動車株式会社が設立されると報道されている。最初の資本金は二万円の予定で、第一期線を山鼻交番所前~札幌停車場前間とした(北タイ 大12・2・22)。五月には車体検査もまもなく終了するので十一、十二日頃には営業を開始しようとしている。予定営業路線は、山鼻交番~停車場と北一条北辰病院~円山神社坂下である。一区六銭均一料金の予定であった(北タイ 大12・5・10)。十月には運賃七銭で、さらに新規路線として桑園線(桑園停車場予定地まで)と元村線(北8条大学前~東5丁目三角)を開設することになっている(北タイ 大12・10・21)。この会社は登記が十二年五月五日、八月六日に山鼻町一〇五七番地に設立された。営業の目的は、乗合自動車、貸切自動車、貨物自動車の売買と運転手の養成であった。役員は取締役奥泉安太郎長谷川哲三郎若島与蔵森島賢次郎金井富作、監査役として小山良明、田中恒太、小山内光であった(札幌商業会議所報 第29号大13・1)。十三年には十月十二日豊平線が開通した。運賃は豊平橋から札幌駅まで一五銭、月寒聯隊まで二五銭であった(北タイ 大13・10・12)。この会社は昭和三年五月解散の決議をする(札幌商工会議所月報第70号 昭3・7)。

写真-6 「札幌乗合自動車 奥泉安太郎社長の初乗り試乗へ 大正十二年」