大正十三年十一月、札幌乗合馬車自働車合資会社が設立された。設立時の代表者は本間与三郎で、他一二人の名が連ねられている(札幌商業会議所月報 第34号 大14・5)。株の譲渡が頻繁に行われ、『二十五年史』(北海道中央バス株式会社)にバス事業担当者として登場する加藤幸吉と木上亀蔵は、株主としては十四年七月の入社である。また本間は木上に株を譲渡して退社する(札幌商業会議所月報 第38号 大14・9)。加藤は十五年十月一日、いったん退社した(同月報 第52号 大15・11)。この会社は昭和二年二月、名称を変更して札幌自動車合資会社とし、この時加藤が再入社した(同月報 第56号 昭2・3)。はじめは月寒~札幌間のバス事業を行ったが、その後札幌乗合自動車株式会社を買収して、同社の路線を合わせて整理し、豊平~月寒間と札幌駅~大学病院間の営業とした。しかし市営電車線の開通により客が奪われ、翌三年一月に大学病院線は廃止した。八月株主として中田鶴吉が入社し、この頃から札幌以外の余市~古平間をはじめ全道に事業路線を展開していった(前出二十五年史)。札幌市内の路線は、後述の札幌乗合自動車株式会社(買収した会社とは別会社)に譲渡した(札幌市史 政治行政篇)。