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予定鉄道網の計画

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 明治二十九年の北海道鉄道敷設法で、北海道の鉄道敷設予定路線が発表されるようになってから、北海道の拓殖計画との関係で鉄道路線網の計画がたてられるようになった。その後同法の改訂がなされていくが、大正二年北海道倶楽部の決議として、拓殖鉄道として将来敷設すべき予定線路の鉄道網が作成された。それには原案として二七線、一四三六マイルが提案された。札幌関係では、白石~追分間二八マイル、石狩川右岸線札幌~月形~留萌線横断~雨竜川添~宗谷線間九五マイル、札幌~定山渓~胆振線二七マイルの三線が上がっている(北タイ 大2・11・27)。さらに五年の一〇〇〇哩突破記念の際に示された北海道の鉄道予定路線図の札幌周辺は、図9のようになっている。

図-9 「北海道鉄道線路図」(札幌周辺)

 大正九年になると、鉄道院では全国の鉄道網を改訂発表した。それによると北海道関係で二五路線一三四三マイルが提示された。札幌に関する路線は、札幌~石狩~増毛間六五マイル、札幌~新十津川~沼田間六七マイル、苫小牧~広島~白石間三九マイルの三路線が示された(北タイ 大9・2・22)。さらに独立した鉄道省は、翌十年には再び予定路線を提示し、北海道では二二路線を提示した。札幌関係は、札幌~石狩~増毛間、札幌~当別~沼田間、白石~広島~追分間と広島から分岐~苫小牧間の三路線である。九年分では追分広島間は別路線の扱いであったのが、同一路線の扱いとなっただけで、九年分と同じである。十年に示された路線は、鉄道省の方針として三〇年間で完成させることを閣議で提案したものである(北タイ 大10・1・21)。この案が鉄道敷設法の改正法として十一年四月十日公布された。この後この予定鉄道網を変更しながら着工整備することになった。