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製綿・メリヤス

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 製綿業は個人営業者が主体で、中国産の原綿を用いて、主にふとんを製造・販売していた。表49によると、職工五人未満工場を含めた工場数は二六~三〇、職工五人以上工場は三であった。昭和恐慌以降職工数は減る傾向にあり、生産額も低下しつつあった。
表-49 メリヤス・製綿工場
メリヤス製品製綿
工場数職工数生産額工場数職工数生産額
大13.8-人-円26149人-円
1430167
昭 33102174,031
495749,0373102183,900
563320,994394169,533
652727,144384150,909
7116767,033393157,434
8128079,822382103,194
91385114,606386112,979
101594241,362384149,172
1.大正13年8月,14年は工場法・北海道庁令取締規則による工場で職工数5人以下も含む。昭和3年から職工数5人以上工場。
2.職工,生産額は調査対象工場の合計。
3.札幌商業(工)会議所『統計年報』(各年)より作成。

 大正十年一月の札幌製綿業組合総会では二二人が出席、このころの組合長は駒野七郎平、副組合長は木下万次郎であった(札幌製綿・寝具工業協同組合 札幌わた寝具業界史。以下の記述もこれによる)。製綿業組合は、総会において打直し賃金を決定する慣行があり、十一年一月には五〇銭であった。また、昭和十一年一月の総会では、工業組合への改組を決議、市内有資格製造家四二人のうち三七人の同意があった。結局、工業組合は日中戦争開始後に原綿輸入が困難となった情勢下に北海道製綿工業組合として十二年十月に結成された。十二年中の原綿仕入実績調査の結果によると、全道で約九三万貫、札幌は約三〇万七〇〇〇貫であった。十九年三月には製綿業者の企業整備要綱が通知され、操業率を六〇パーセントとし、廃棄分の製綿設備を供出すること、原料消費・機械台数の一定基準以上になるよう企業を統合することが求められた。
 メリヤス製造業は、主に軍手軍足を製造していた。表49によると、五人以上工場、職工数、生産額ともに昭和恐慌以降増加傾向にあった。表45は五人未満工場をも含むすべての生産額なので、表49の生産額と比較すると、五人以上工場の生産額は、全生産額の一七・九パーセント~七一・四パーセントを占めている。メリヤス業者は、昭和十二年二月に札幌軍手工業組合を設立、理事長に高山儀八が就任した(札幌商工会議所 月報第一三九号)。