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製材

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 表54は繊維、食品以外の軽工業をまとめたものである。製材、木製品、皮革製品などが大きな生産額を示している。製材は、比較的規模の大きい工場が存在した。大正十四年に職工一〇人以上使用の製材工場を列挙すると以下の通りである(第一二回統計年報)。
 札幌木材株式会社工場(北5西6、五三人)、苗穂伊藤木工場(北3東8、四七人)、小川合名会社木工場(豊平3条8、二三人)、豊水木工場(南7西1、二一人)、大島製材所(北5東3、二〇人)、北日本製材株式会社木工場(北2東13、一八人)、三ツ印木材合名会社工場(北4東5、一六人)、加藤製材所(北5東2、一六人)、植田木工場(北9東2、一五人)、大場木工場(北4東2、一三人)、石井木工場(苗穂99、一〇人)。
表-54 その他の軽工業         (単位;千円)
 大1114昭3691215
製材9821,8422,9384,868
木製品1,4811,3381,5811,1341,1371,5154,169
スキーその他運動具183246
竹製品5111331113
籐製品21107911
杞柳製品334636193039
経木折箱697624345496
漉返紙165312960
紙製品66258248319
製革7106726
皮革製品7521,0991,252610656477
陶磁器42581455
漆器924624131417
刷子及刷毛61011724
藁製品42161258
合計2,5502,7423,1122,9834,4315,63513,920
1.合計にはその他を含む。
2.札幌商業(工)会議所『統計年報』,『札幌市統計一班』,『北海道庁統計書』より作成。

 札幌木材の損益計算書を表55にまとめた。第一次大戦ブームからさめていない大正八年は、収入の部にある製品等売上金額と支出の部にある挽潰及売却原料の差が大きく、当期純益金も一〇万円余を計上している。ところが、大戦後の木材不況は深刻で、製品等販売総額は大正十四年まで低下傾向にあり、挽潰及売却原料はさほど低下しなかった。その結果純益金は圧縮され、十三、十四年には赤字決算となった。十三年の決算報告は「前期ヨリ不況相続キ月ヲ逐フテ益濃厚トナリ」「本道材ハ官庁ノ払下木代高率ニシテ……且ツ労銀物資低廉ナラサレハ原木ノ仕込原価高価トナリシ処商況ハ益不振ヲ極メ……」という苦境を述べている(札幌木材株式会社 第二五期決算報告書)。
表-55 札幌木材株式会社損益計算書             (単位;円)
 収入支出
製品等売上総額在庫製品挽潰及売却原料繰越及仕入製品工場費当期純益金収入(支出)合計
大 8867,84153,743478,28154,140105,502102,2071,015,526
9646,70748,615406,60363,37581,56451,769794,324
10709,45648,622439,85958,56377,18653,464816,868
11800,70550,130528,58462,22891,55254,710958,796
12749,33764,590498,90177,62589,33633,390889,731
13669,68581,400495,92179,86380,337-9,988829,529
14383,98968,000388,24292,96570,876-41,362683,605
15472,87679,551352,32476,66958,6356,308596,381
昭 2526,902117,180386,946132,11568,45117,457720,131
1.製品等売上総額は,大正8年~13年は「製品売上総額」「角材売上総額」の計,14~15年は「製品売上総額」,昭和2年は「製品粗製品売上総額」。
2.在庫製品は,大正14年から「製品棚卸」。
3.大正14年の挽潰及売却原料は「挽潰原料」「売却原料」の計,15年は「挽潰原料」,昭和2年は「使用原料総額」。
4.札幌木材株式会社『決算報告書』各期より作成。

 ところで、官庁の払下げについて札幌市の調査報告書は、「原木ハ官庁ヨリ直接払下ヲ受ケ自ラ伐採スルモノ又ハ官庁若ハ民間ニ於ケル造材ヲ購入スルモノトノ二様ニシテ、大量製材業者ハ前者ニ属シ、小規模ノ業者ハ後者ニ属スル」と述べている(札幌市 工業調査 其ノ一)。札幌木材は前者に属すものと思われる。
 大戦後の不況から昭和恐慌を経て、昭和八年ころにようやく原木・製材価格が上昇に転じた(樽新 昭8・1・14)。このころには、道内約五〇〇といわれる製材所のなかから製材機械五〇馬力以上を有する約八〇の業者を選定し、工業組合を組織するという構想が小樽の製材業者から持ち上がった(樽新 昭8・11・19)。しかし、この構想はすぐには実現しなかった。日中戦争期には製紙・人絹・人造繊維原料のパルプを帝国内で自給する必要が生じ、北海道木材は改めて注目されるに至った。第四章四節の表24によると、北日本製材株式会社の純益率は十一年以降うなぎ登りに上昇した。表54の製材生産額も十五年には十二年の一・七倍となったのである。