除虫菊は北海道の重要産物であり、年産一〇〇万貫に達し、世界生産の七割にも及んでおり、輸出品としても重要視されていた。しかしながら、「商権は神戸商人によりて左右され生産者は不利な立場に置かれ居る上、除虫菊は何れも原料品として取引された為に生産者は二重の損失を蒙りつゝある」現状であった(北タイ 昭7・5・31)。昭和七年に道庁では生産者の利益増大を図るために、倶知安の北辰薬草、清真布(栗沢町)の北海道除虫菊加工、和寒の共和除虫菊加工、石狩除虫菊加工の四社合併を指導し、工業組合による北海道除虫菊製品工業組合が十月二十八日に創設されるにいたった。同組合の工場は琴似村に建設されることとなり、九年から製造を開始、製品は主に家庭用殺虫剤「ハルク」、農業用殺虫剤であったが、十年に機械設備を新調し、十一年からは海外に輸出して販路を広げ、十三年には工場を増設していた。
同工場は当初、道庁の助成工場であったが、十四年五月に北海道信用購買販売組合聯合会が事業を買収して、同会の琴似除虫菊工場となる。