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ガラス工業

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 ガラス工業も目立たないながら化学工業では盛んな分野であったが、この時期に札幌でのガラス工業を代表するものは、大日本麦酒製壜工場(北4東7)である。同工場は明治三十三年の創設であり、大日本麦酒のビール瓶を専用に製作していたが、大正六年にリジネラブル式連続窯を設備して年産五一〇万本をあげ、さらに八年には従来の吹形法を改めて半自動製壜機を設備し、十二年にはグラハム式全自動製壜機を設置して年産六二五万本まで生産するようになっていた(札幌市史 産業経済篇)。大日本麦酒では昭和十一年十一月に同社附属の五工場を統合して日本硝子株式会社を創設したので、これにともない日本硝子札幌工場となった。
 一般のガラス工場の中で老舗であり、なおかつ札幌を代表する工場は岡田硝子工場(北7西4)である。同工場は明治二十三年八月に河内工場として創業され、四十五年に岡田幸三に継承され各種ガラス瓶、ガラス器械・器具などを製造し、岡田硝子では大正十年に第二工場を北六条西七丁目に設置していた。ガラス工場は大正期には九年に林松吉、十一年七月に札幌硝子製造場(豊平3―11)などが創業し、昭和に入ると三年十一月に鈴木硝子工業所(豊平3―9、鈴木留吉)、六年七月に鈴木硝子製造所(豊平3―9、鈴木甚蔵)、九年五月に平野理化学製作所(北7西4、平野繁美)、十一年十月に水間三郎(豊平)、十二年十月に白石硝子製造所(上白石)、十四年に巴亦硝子工場(白石町、巴亦喜代太郎)などが創業していた(札幌商工営業者名録、寺林伸明 北海道のガラス)。
 ガラス工業も戦時中に入り企業整備により、岡田硝子工場を中心にした北海道硝子工業、日本硝子札幌工場、平野硝子工場の三社に統合となった。